三匹が行く

〜金津流石関獅子躍の生まれたところと、今、躍ること〜  ② 金津流と行山流 *用語メモ*

中央部にある富谷丘陵・松島丘陵を境に

東北最大の平野である仙台平野は

南北に分かれる

それらの丘陵と七北田丘陵の間を縫って

流れる七北田川の河岸に“松森”はある

古代から、そこは北上に連なる丘陵地帯と

南部へと開けた平野地帯との境界であった

安部靖氏の伝書の読解により、それまで宮城県旧松山町と言われてきた金津流獅子躍の発祥が、石関に関しては松山ではなく、宮城郡國分松森村(現在の仙台市泉区松森)であると判明した。


金津流石関獅子躍

Japanese folk performingarts 東北文映研ライブラリー映像館

行山流舞川鹿子躍

撮影:佐藤裕夫(行山流舞川鹿子躍保存会)

理解を深めるための用語メモ

◆鹿踊りの流派

現代においていわゆる「鹿踊り」と言われている芸能は、大きく「太鼓踊り系鹿踊り」と「幕踊り系鹿踊り」に分けられ、太鼓踊り系鹿踊りには、行山流、金津流、春日流という大きく三つの流派が存在する。

◆金津流石関獅子躍(かなつりゅういしぜきししおどり)

金津流石関獅子躍は安永8年 (1779) 7月に、旧仙台領江刺郡石関村 (現岩手県奥州市江刺稲瀬) に伝えられた郷土芸能で、岩手県内にある金津流鹿踊りの宗家である。昭和30年頃に一度途絶えたが、平成に入り梁川金津流鹿踊 (現 金津流野手崎獅子躍) 初代”菊池司”等を師匠に招き復活を果たした。 

行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)

岩手県一関市舞川に伝わる行山流の鹿踊り。 宮城県南三陸町発祥とされる。 

◆シシオドリの表記

踊り組によって「鹿踊」「鹿子躍」「獅子躍」などと表記が異なるが、全てシシオドリと読む。金津流では伝書に「獅子躍」と書かれており、これを正式としている。本記録集では、固有名詞以外は「鹿踊り」で統一した。

◆伝書

どの団体においても由来が記された伝書 (伝授書・巻物) は、代々庭元(にわもと)の家に保管されていた。ただし石関の場合は、庭元の家に何かあってはいけないと、全て原本の他に二巻ずつ書き写された。また最近になって、庭元ではなく中立のみが伝授する伝書も見つかった。ある時代までは、伝書の有無、またその内容で踊り組の格が決まり、上下関係があったという。

◆中立(なかだち)

踊り組の中で中心的な役割を担い、踊りの指揮をする踊り手。

◆庭元(にわもと)

芸の家元にあたる存在。村の有力者が務めることが多かった。鹿踊りを踊るためのシシ頭・装束・太鼓などの道具は庭元の家で保管・管理され、踊りにかかる費用なども庭元の家が用意したという。

ただし、石関の場合は、庭元の家に火事などの有事があった際のことを考え、踊り手個々に道具等を保管させていた。それでも、石関が平成に復活する直前に、庭元の家が火災に遭い、その後庭元も亡くなったことで、詳細を辿れなくなったこともあるという。歴史がある踊り組では、庭元が中立を務める場合も多い。

◆肝入(きもいり)

現代でいう村長に近い存在。庄屋、世話役。村の繁栄にかかる農作物の栽培方法や、新しい技術を持ってくる、ということも行なっていた。石関では肝入が庭元を兼ねていた。

◆庭元の他家への継承

庭元を担ってきた家が傾きそうな場合などに、庭元を他家に譲ることがあった。石関では庭元が何度か変わっている。その際、伝書は必ず原本ではなく、写しを作成して渡された。

◆松森村

現在の仙台市泉区松森にあった村。仙台平野北部に流れる七北田(ななきた)川流域に位置し、広い平野部の田圃を囲むように、北側東西の丘陵帯に住宅団地が広がっている。明治22年(1889年)に町村制が施行される以前は、宮城郡国分(こくぶん)32村1浜の内の一村であり、国分氏の居城であった松森城(鶴ヶ城)跡がある。金津流獅子躍発祥の地であるとされるが、現在鹿踊りの伝承は途絶えている。


 

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